新聞をたどると、2018年の4月12日に・・・
まとめておこうと思い、
昨日から新聞で私の形跡をたどっている。
南日本新聞の「かお」で紹介された。
私個人の取材で、うれしかったなぁー。
東京書籍の教育賞で最優秀賞をとったときのものだ。
また、親孝行できたと思った。
母さんが切り抜いて持っていたから。
さらに、遡ること5年・・・
2013年4月3日にも「かお」で載ったんだよなぁ。
原子力・放射線で助成金をもらったときのもの。
自分の中では、その後、何度も研究でいただいているので、今ではあまり珍しくはないが、
鹿児島県では一番ゲットしているんじゃないかな。
そのおかげで本当に自分の研究が進められる。
もう一つ2012年4月11日に上廣道徳教育省で優秀賞をとったときも。
これは「かお」ではなかった。
教育コーナーだったかな。
本当にありがたい。
このように認めてくれる方が新聞以外にも外部に確実にいる。
だが、学校では、一度だめになった人間は認められることはない。
それが公務員の定めなのか。
セカンドチャンスはないのだろうか、
あがいたこともあったが、
やっぱり無理だった。
今は、肩の力を抜いて、できることとできないことをはっきりと伝えている。
昨年は、初めての自己評価はAをもらった。
今までBだったのになあ。
教務からも下ろされたのに、
肩の力を抜いていたからかなー。
今年からの勤務校でも今までのメインとしていた校務はなく、
初任者のような校務。
転任者、50代後半ということで、
いろいろと気を遣ってもらっているのだろう。
ありがたいと思う。
それに、このマンモス校で今まで通りにできるはずがない。
職員会議を見ていて思った。
そして、部活では、すごいのが来そうだったが、
そこは丁重にお断りさせてもらった。
自分の体力、家族のこと、自分の研究の3つの理由により
土日の時間が使えないので・・・…
すみません。
こればかりはゆずれないのです。
というわけで、それができるポジションに。
良かった。
そうそう、こんな私だけれども、勤務校に貢献できるかもしれない。
校長には立候補を伝えておいた。
さて、選ばれるか。まあ、若い人でもいいんだけれど、
なかなかしようという人はいないだろう・・・・
という種を蒔いている。
それにしてもよく載ったなぁ。
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