「雑記帳」の分析 長文:1999年から2006年にかけて暗黒時代になっていくのがよくわかる。
前回のブログ時代に比べて、分析結果は長文です。でも、ある意味、同じように苦しんでいる方の参考になればと思います。それにしても、よく生きていたなぁ。インフォグラフィックでは、2ヶ月くらいで立ち直っているように見えるが、まあこの後、ブログになって、10年くらいはかかったかな。いや、未だに尾を引いてはいるよ。完治はしていないな。
1. 1999年11月〜2001年(「雑記帳」1〜3期)
- 主題: 『個人Web開設と交友関係の再編・ホームページ黎明期』
- 主な特徴・出来事:
- 1999年11月14日に個人ホームページ「雑記帳」を開設しました。
- Web開設をきっかけに十数年ぶりに大学時代の友人から連絡が入るなど、初期インターネットを通じた人とのつながりが生まれました。
- 高校・大学時代の友人との忘年会や「鹿児島仮説の会」サークルの新年会、校内での理科同好会(結晶作り)の指導、出席簿や指導要録の点検など、教職と個人生活の日常が記録されています。
2. 2002年〜2003年(「雑記帳」4〜7期)
- 主題: 『離島(種子島)勤務と実践・卒業生との交流と多忙感の顕在化』
- 主な特徴・出来事:
- 種子島での勤務や生活(南種子町のロケット基地見学、地層観察、フェリーやトッピーでの移動等)が描かれています。
- 卒業生(もりもん等)との電話相談やドライブといった交流が頻繁に行われ、心の支えとなっていました。
- 勤務の忙しさに伴う倦怠感や頭痛といった体調面の不調が表れるとともに、「教育についての考えや暴露話も載せていこう」といった発信への意識変化が見られます。
3. 2004年〜2005年春(「雑記帳」8〜10期)
- 主題: 『「雑記帳」の成熟とブログツールへの移行模索』
- 主な特徴・出来事:
- 20歳・21歳に成長した前任校の教え子たちと天文館で再会し、関係を維持し続けている様子が記録されています。
- 2005年4月13日の記述で更新の滞りやモチベーション低下を打ち明け、「雑記帳は次からはブログにしようと思う」とブログメディアへの転換を宣言しました。
4. 2005年7月〜2006年3月(NTTブログ時代・前〜中盤)
- 主題: 『ブログ発信の本格化と理科・道徳教育の実践・教務多忙期』
- 主な特徴・出来事:
- プラットフォームを「NTTブログ」に移し、月別アーカイブによる高頻度な更新体制が確立しました。
- 理科教育での精力的な実践が展開され、仮説実験授業「もしも原子が見えたなら」の実施、分子模型作成講座の開催、100円ショップの材料を使ったモノコードの自作、放射線測定器「はかるくんⅡ」を用いた原子力・放射線学習、道徳授業「火山を買った男」など多様な教材開発が行われました。
- 教務主任・道徳主任としての負担が増大し、早朝から夜まで続く「12時間労働」や時間割調整、年間計画策定に追われる日々が続きました。
- 忙しさの合間に、ガンプラ(シャシャア専用ドム)の制作、プラネタリウム(ホームスター)、映画・ドラマ鑑賞などの趣味でリフレッシュを図っていました。
5. 2006年4月〜2006年8月(NTTブログ時代・後半)
- 主題: 『心身の限界・倒伏と教職の過酷さに向き合う療養期』
- 主な特徴・出来事:
- 教頭になり、2006年6月、多忙とプレッシャーから精神的・体力的に限界を迎え、保健室で倒れて1ヶ月間の休養・療養に入りました。
- 病院通い(CT、MRI、大腸検査等)を余儀なくされる中で、同僚や友人からの励ましを受けつつも、教職の過酷さや業務構造に対する深刻な苦悩と葛藤が素直に吐露されています。
原口氏の記録における**「12時間労働」と「腰痛」**は、教職における過酷な勤務実態と、それが身体に及ぼした影響を象徴する重要なテーマです。各記録からその具体的な背景や経過を読み解くことができます。
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1. 「12時間労働」の記録(過酷な勤務実態と多忙)
- 発端と頻出時期:
- 早くは2001年1月の「最近、平日は12時間労働。学校に残るのは午後7時を過ぎるのがざら」という記述や、2004年6月の「朝7時前から夜7時過ぎまで12時間以上学校の仕事をしている」という記録が見られます。
- 特に2006年1月〜2月にかけて「12時間労働の始まり」「今日も12時間労働」「13時間近くね」という言葉が連日のように登場します。
- 具体的な業務内容:
- 授業(週15〜20コマ程度)や部活動の指導に加え、教務主任としての重い校務分掌(時間割の作成・調整、来年度の教育課程策定、年間行事予定の入力や配布)が大きな負担となっていました。
- これに加え、道徳の指導案・副読本原稿の執筆、通知表・指導要録の作成、テスト問題の作成や採点、出張の手配など、休み時間や放課後もひたすらパソコンに向かい続ける状態が続いていました。
- 身体・精神への影響:
- 「教員の仕事の一番大切なものは授業だが、雑仕事に追われる」という葛藤を抱えながら、平日の疲れを癒すために土曜の昼まで横になる生活を送っていました。
- この慢性的な長時間労働とストレスの蓄積が、2006年6月の保健室での倒伏と、その後の1ヶ月間に及ぶ病気休養・療養へとつながっていきました。
2. 「腰痛」の記録(長年の苦痛と不調の真相)- 記録上の経過と生活への影響:
- 2004年9月の台風対応時などに腰痛で整骨院に通う記録が現れ、特に2005年11月には「腰痛日記かぁ」「腰痛一週間」と自称するほど悪化しました。
- 毎朝7時に整骨院で治療を受けてから出勤したり、痛みを抱えながら文化祭の放送設備をセッティングしたり、鹿児島や博多への出張(高速船トッピーや新幹線での長時間の着席)に苦しむ様子が克明に描かれています。
- また、学校の硬い椅子や階段、バリアフリーではない環境が、腰痛を抱える者にとっていかに過酷であるかという洞察も記録されています。
- 6年越しの「腰痛」の真相(2006年8月):
- 2006年8月、病休中に精密検査を経て「腹腔鏡下胆のう摘出術」(胆石の手術)を受けました。
- 手術後、原口氏は「今まで約6年間悩まされていた腰痛(背中左の張り)がすっきりなくなった。腰痛はお腹ではなく背中に痛みが出た大きな胆石のためだった」と書いており、長年整形外科や整骨院に通い続けていた腰痛の本当の原因が「胆石」であったことが判明したと結ばれています。
このように、「12時間労働」と「腰痛」の記録は、現代の学校現場が抱える教員の多忙化(教務と教頭・行政的雑務の肥大化)と、過酷な労働環境が心身の不調として顕現していくプロセスが生々しく描写された貴重な記録となっています。 - 発端と頻出時期:
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原口氏の2006年の病休から復帰に至る経緯は、「過酷な勤務による心身の限界と倒伏」、「病休と周囲の支えによる養生」、**「精密検査と胆石手術による根本回復」**というプロセスを経て記録されています。
1. 限界と倒伏(2006年6月)- 勤務の多忙化と過労: 連日の12〜13時間労働や教頭・雑務の重圧が続き、精神的・体力的に追い込まれていました。
- 倒伏と受診: 2006年6月22日、限界を迎えて学校で倒れ、朝から夕方まで保健室で臥床・うなされる状態となりました。翌日病院を受診したところ医師から休養を指示されました。
- 病気休養の開始: 6月29日より正式に1ヶ月間の病休に入り、勤務地(種子島)を離れて鹿児島市内の実家へ戻り養生を始めました。
2. 療養と周囲の支え・精密検査(2006年7月)- 心身の回復と周囲の存在: 鹿児島市内のクリニック等で心や体の治療を受けつつ、友人や元上司から励ましや温かい言葉(「絶対に命を粗末にしてはいけない」など)を受け、心の安定を取り戻していきました。
- 胆石の発見: 総合病院等でCT、MRI、胃・大腸内視鏡などの精密検査を重ねた結果、長年悩まされていた腰痛の原因が「大きな胆石(約2.5cmが4つ)」であることが判明し、手術を受けることになりました。
3. 入院・手術と退院(2006年8月)- 手術と退院: 8月16日に鹿児島中央病院に入院し、8月17日に全身麻酔下で「腹腔鏡下胆のう摘出術」を受けました。集中治療室やリハビリを経て、8月24日に無事退院しました。
- 長年の不調の解消: 胆のう摘出によって、約6年間にわたり苦しめられていた腰痛(背中左の張り)がすっきりと解消され、身体的な根本回復を果たして現場復帰への道を歩み始めました。
2006年6月〜8月の病休・療養期において、原口氏が記した教職や人間関係についての省察は、過酷な勤務構造への葛藤、指導観・生き方の転換、そして人の温もりの再発見という3つの視点に集約されます。
1. 教職・業務構造への痛切な葛藤と省察
- 過剰な負担と自尊心の喪失 教務主任の仕事に加え、保健、美術、技術・家庭、水質調査、給食、生活指導など、不備の多かった校務をすべて一から立ち上げ直さざるを得ない状況に置かれました。日々の仕事に追われる中で「単なる便利屋」「仕事に誇りが持てない」「奴隷のような仕事」と感じ、自尊心を大きく損なってしまうほどの絶望感を味わいました。
- 不登校生徒への共感 朝起きた瞬間に激しい精神的な落ち込みを経験したことで、「朝はどーんと落ち込む。不登校の生徒の気持ちが身をもって分かる」と記し、追い詰められた人間の苦しみを不登校の生徒と重ね合わせて深く理解するようになりました。
- 「追い込み過ぎ」への警鐘 「人は追い込まれると成長する」という考え方に対し、自分も公開授業の準備や原稿執筆などで成長してきた側面を認めつつも、「追い込まれ過ぎは考えものだ」と述べています。自分自身や相手の「向き不向き」を考慮すること、そして言うべき主張はしっかりと伝えることが、結果として「人に優しい関係性」につながるのだと省察しました。
◎こうやって見ると本当に暗黒時代。ようじょう中時代の教務からきしら中の教頭まで、よくまあブラック仕事をやってこられたと思う。まあ、倒れたけれど生きていられたから良かったか。この時支えてくれた元上司や友人、道徳のチカラや仮説実験授業の皆さん、そのときの地区の指導主事や教頭会の皆さんも本当にありがとう。(職場の人は誰も支えてくれなかったどころか、いつまでも責めていたな。)「過酷な労働環境が心身の不調として顕現していくプロセスが生々しく描写された貴重な記録」となっているということなので、誰かの役に立つといいなと思い、分析しました。こんなにわかりやすくまとめてくれてAIありがとう。
でも、いまだに、こんな職場環境があるんだろうな。早く直していかないと若者は誰も教師にならないぞ。

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