2004年の6月7日・・・20年経っても
| 2004 0607 | 今日は本当に朝からハードであった。朝6:30起床。学校に7時過ぎ着。パソコンを立ち上げたりする。登校指導のために旗と腕章を持って再び、立つ場所に行く。20分ほど数人の生徒に出会うだけのために交通指導をする。果たして意味があるのか? 保護者も4人ほど来る。終了後、すぐに学校へ。今日は集会行事なので、授業スタートが早い。5時間中4時間は授業だ。ふーーーー、そして空き時間は印刷をしようと思いつつも教育相談の先生の代わりにクラスにはいる。ふーーー、給食。そして昼休み、印刷し「道徳通信」を全教職員に、「学年部会予定」を学年の先生に配る。5限終了後、学年集会だ。校歌を歌った後、先日の長崎小六殺人事件について少し語る。生徒たちには分かったかな。自分としては40点くらいだ。その後は学年部会。そして退庁後、歯医者に行く。一時間ほどの治療でとうとう終了した。2月末から今日まで足かけ5ヶ月。やっと虫歯の治療、歯石取りが終わった。その後、また学校に帰る。社会のノートを見たり、理科のプリントをチェックしたりと19時過ぎまでかかる。12時間以上学校の仕事をしている勘定だ。 本当に疲れたーーーー。久しぶりに鹿児島のハマサキ氏、加世田のソノダ氏と電話をする。明日も登校指導だなぁ。あと三日か。 |
ああ、榕城中時代だな。
なかなかのブラックぶり。
朝も早くから空き時間も代わりにクラスに入り、
昼休みも放課後も仕事。
もちろん残業代はつかない。
労働基準法にも違反してる。
この頃は、この仕事ぶりになんの疑問も持たなかった。
それがいけなかったんだろう。
私たち世代の罪だな。
こんな働き方が続くわけはない。
何人の同僚が途中退場していったことか・・・・
かくいう私もこの2年後に
田中校長のパワハラにより一度退場することになる。
(この頃はパワハラ、セクハラが横行していた・・・・いや、今もか)
しかし、いかに犠牲が出ようとも
この仕事の仕方が今もあちこちの学校で続いている。
そして、そのことが世間に知れ渡っている。
学生たちは教師になりたくないだろうなぁ。
真の働き方改革をするべきなんだが、
遅々として進まない。
早くしないと、日本の教育はダメになりつつある。

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