« 2年前の南日本新聞 | メイン | 日本で最初の原子炉 »

2015年4月 4日 (土)

失意の2006年 内之浦の海岸

Uni_1032

朝は6時から学校に行き、朝の見回り

午前中は、授業もあったり、いろいろな報告書を書いたり、

電話や来客の対応、

昼食は検食で文句の多い恩人Tと二人きりの気まずい時間。

昼休みもゆるりとできず、校内見回りやいろいろな対応。

午後は、草刈りや芝の手入れなどの作業。

そして勤務時間終了後にやっと事務作業、

明日までに提出すべき書類などを書き、

恩人Tのチェック・・・・

もちろん一日の内に恩人Tに馬鹿にされ罵倒され

だれにフォローされるわけでもなく、

恩人T以外の教職員にもバカにされるばかり。

プライドは傷つけられることは何度も有り。

夜9時くらい、校内見回りをして

10時過ぎに、またはそれを過ぎてやっと帰宅。

5Mほど離れた住宅に。

まるで住み込み警備員。

平日はそんな1日。

土日も地域の行事やらにかり出され、

宴会の機会も多い。

そんな時は、恩人Tの運転手。

自由な時間などほとんどなし。

学ぶ時間など、もてのほか・・・・

だれに相談できるわけでもなく、

苦しい毎日。

そして、つぶされた。

恩人Tに。

ちょっと時間があけば、海岸に出て、

少し見える種子島の日々を思い出す。

「神様、そんなに私が悪いことをしましたか・・・・種子島に戻りたい」と。

写真で見る景色はきれいだが、私には地獄の景色。

住宅はほとんど引っ越したばかりとあまり変わらず散らかり放題。

寝て、カップ麺とパンを食べる毎日。

コンビニも食堂もない。

生きたければ、山道を登って30分以上かかる。

疲れている自分にそんな元気はない。

心身ともにすり減っていった。

生きていたくなかった。

そんな暗黒な2006年。

Uni_1030

Dsc04276

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/230711/33214885

失意の2006年 内之浦の海岸を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

2025年3月

           
1
20250227_163739
2
Cimg1165
3
20250303_080037
4
20250304_092531
5
Cimg3298
6
20250306_095949
7
20250307_104106
8
20250306_102645
9
20250309_195909
10
20250310_075539
11
20250311_070349
12
20250312_074334
13
20250313_142639
14
20250314_100219
15
20240611_092218
16
480966439_28627158096932175_6727335
17
20250317_104139
18
20250318_083547
19
20250319_081811
20
20250320_190547
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
         

アクセスランキング