2006年の今日は
2006-03-22
めっちゃ忙しい・・・
忙しい・・・金曜日は、いつものメンバーで飲み会だった。二次会のポピーズでは
二年部数名と合流した。三次会は数名でラーメンに。いやーーよく食べてよく飲ん
だなぁ。で、土曜日は午後からいつものパターンだ。パソコンなど・・コーププライド
も見た。いなんか感動したなぁ。日曜日は、ドライブ。天女ケ倉山に登り、よい眺め
であった。そして新しくできたカシミヤ橋と新種子島空港を見に行った。なかなかき
れいだったなあ。写真をとりまくりだった。昼からはいつものパターンだったように
思う。幸福なひととき。
月曜日は授業、教科部会、学級編成と忙しかった。夜は校長に誘われ飲み
会。今日火曜日もいつものパターン。昼は久しぶりにお好み焼きを作り、ポップン
をしていた。はーー、もっともっと・・・・。
投稿日 2006-03-22 日記・エッセイ・コラム | リンク用 URL | コメント (0) | トラックバック (0)
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異動が決まり、忙しい時期だった14年前。
土日や春分の日は、おっくーが来て、幸福のひとときを過ごしていた頃。
この時間をもっともっと過ごしていたいと思っていたんだよなーー。
カシミヤ橋もこの頃に完成した。
すぐに自殺があったけれど。
私もこの数ヶ月後にそんな気持ちにまで追い詰められたっけ。
新しい赴任地は、大変な僻地。
新しい仕事はわからないことだらけ。
田中校長も教えないし、そんなことも知らないのかと馬鹿にしたり罵倒したりする始末。
食べ物もコンビニや食堂などが周辺10キロにはなく、
また、行く時間もないので自炊しかない。
しかし、6時勤務開始22時終了の毎日で土日もないとなれば、
作る時間もなく、インスタントものか
食欲もなくなっていき食べないか。
検食もだんだん食べられなくなってきた。
そんな環境の中で心身ともにすり減っていき、
「100日後に死ぬワニ」じゃないけれど、
それこそ、このあたりから100日後に倒れる。
また、人生の先を知らないワニと違って、
このままでは、なんとなく倒れることはわかっていたけどね。
しかし、どこにもSOSが出せない仕組み。
何事も校長を通して上に伝えないといけないから、
校長が原因の鬱など言えるはずもない。
唯一、命の電話に頼ったか。
しかし、それでもなんにもならない。
よって予想通り、倒れて休職だ。
ここから今もお世話になっている心療内科との付き合いが始まる。
薬もずっと飲んでいて、新年度から仕事にも復帰できて、
だんだんと安らかになってきたが、
やっぱり心の器がいろいろなことであふれてくるとだめだ。
鬱は完治しない。
まあ、死ななかっただけでもいいかもしれない。
そう考えると、
ああ、種子島時代は、地獄の前の宝石のような時間だったかもしれない。
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