まだ、火曜日だよ。昨日たくさん寝たから、なんとか生きてる。
現在、2年生は、植物の体のつくり
光合成、呼吸、蒸散と進む。
そんなときに役立てるのが、
葉のはたらきペーパークラフトだ。
ここに載せているのは初期型。
もう、ずいぶん改良を加えてはいる。
地涌儀容では、顕微鏡や植物モデルを持って行き、
これらの模型を作ることで理解を深めるようにしている。
そうそう今日は地域生徒会。
担当地域は、
御所~という名前が付いている場所。
えーー。
谷山に御所があったの????
と言う疑問。
早速調べたら、
谷山神社のHPで、
肥後国一宮の阿蘇神社に伝わる阿蘇家伝来の古文書「阿蘇文書」によると、興国3年(1342)5月に懐良親王は、南北朝の対立の余波が及んでいた薩摩国の谷山に下向します。谷山郡司であった谷山五郎隆信をはじめ、肝付・川辺・鮫島氏らは、懐良親王を千々輪本城(谷山本城・愛宕城)[地図] に迎え、本城より約20町の高台に懐良親王の御所ヶ原(見寄ヶ原)を構え本陣を置きました。
これに力を得た南朝軍は、北朝方の島津貞久を苦しめますが、波之平城の戦いや紫原の戦いに破れるなどして南北両軍の一進一退が続きました。懐良親王は、決定的な勝利をおさめることができないまま、正平2年(1347)まで谷山に留まります
とありました。
なんと御所が700年近く前にあったのですねー。
へー。
帰りに、御所ヶ原に行きたくなりましたが、
雨が降ってきたので、断念。
うーん。谷山という地域、侮りがたし。
いつか行ってみよう。秀頼の墓とともに。
コメント